2010年から新しいパートナー・浦田聖子とともにロンドンへの一歩を踏み出した西堀健実。浅尾美和とペアを組んでいた4年半を振り返るとともに、所属していたチームを退団し、独立の道を選んだ決意を聞いた。
撮影/松永和章(Agence SHOT)
甘えていた自分
中学、高校と日本一に輝き、Vリーグ(現V・プレミアリーグ)のJTに入社。インドアバレーで輝かしい道を歩んできたが、「自分はチームに必要ないと思った。バレーが嫌いになりそうだったから、新しいことに挑戦しようと思った」という理由で、JTを退社。03年、ビーチバレーに転向した。
「ビーチバレーを始めた頃は、一旗上げてやろうって燃えていたんですけど、しばらくは結果も出ないまま、所属先もないまま、フラフラしていて、ずっと『何しているんだろう』って思いながら、路頭に迷っていました。だけど、05年から(浅尾)美和とペアを組むようになって、事務所に所属してビーチバレーだけに専念させてもらえる環境を作ってもらいました。それからは海外で戦えるようにもなったし、本当に美和や事務所の方には、今でも感謝しています」
そんな恵まれている環境に身を置いていたにもかかわらず、西堀・浅尾ペアは、国内ツアーで一度も優勝することができず、海外でもめぼしい成績を挙げることができなかった。
「昨年のオフシーズンなんて練習も追い込んだし、沖縄合宿なんて一日しか休みをとらないくらい追い込んで、万全な体制で臨んだのに、ツアーで一回も優勝できずに終わってしまった…。一生懸命やっていたし、勝ちたい気持ちでやっていたんですけど、最後の1点がとれないし勝てない。試合が始まる前は、後悔しないようにやろうと思っていても、結局試合が終わると、ああすればよかった…とか後悔の念が残って…。ときには負けた原因を何かのせいにしてしまう…。結局、その繰り返しでした」
その結果を受けて、2009年11月。西堀・浅尾ペアは、ペア解消という道を選んだ。
「今考えてみると、私の場合は、ビーチバレーをさせてもらえる環境を、周囲の方に作ってもらったものだった。本気で勝ちたいなら、自分で自分を追い込まないといけないのに、心のどこかで環境に甘えていた部分があって、それをわかっていながら行動に移せなかった。口では妥協しないって言っていても、結局自分に甘えがあったから、結果が出なかったんだと思います」
ペア解消後、西堀はさらに大きな決断を下す。浅尾とペア結成以来、在籍していたエスワンを退団することを決めた。
「これまでと変わらずにお世話になっていたら、おそらくスポンサーもついていたと思うし、ビーチバレーだけに専念することもできたと思います。だけど、それだと今までの私と変わらない。私の場合、環境に甘えずに本気で勝とうと思ったら、いろんなものを自分で作り上げていかないとダメなんだと思ったんです」
2010年1月から一時、新たに所属先を決めたものの、「自分の未熟さ」が事務所とのすれ違いを引き起こした。最終的に、1ヵ月で契約解除となった。
「早く安定した環境で始動したい、という気持ちが強すぎて、周りに何も相談せずに自分の判断だけで決めてしまったことで、今回自分の未熟さを知りました。周囲の方にも迷惑をかけてしまったし、新しいことを始める難しさを知りました。正しい判断ができるように、ビーチバレーだけじゃなくて社会の仕組みだったり、いろいろなことを知っておかないといけないと痛感しました」
2月からは、『フリー』のアスリートとして歩んでいくことを決めた。スケジュールの管理はもちろん、経理面も自ら管理し、ビーチバレーに取り組んでいくためには、自分に出資してくれる企業を自分で探さなければいけない。
「自分でやり始めたら、いろいろなことがわかってきました。自分に投資してくれる方、スポンサードしていただける方を見つけるのは本当に大変だし、簡単なことじゃない。現時点では、ありがたいことにお金を出していただけるご縁も見つかり、皆さん、心から応援してくださるので、勝たないといけない。じゃないと、その方たちも離れていってしまうと思うんですね。だからこそ結果を出さないと、という気持ちが今までよりも強い。逆に私が結果を出すことができたら、これまで断られたところも振り向いてくれるかもしれない。今は、スポンサーのお話はすべて自分で対応しているので、『お金は出せないけど、物品なら提供できます』というお話を聞くと、まだまだ自分の実力が足りないんだなと思うし、全部、自分に返ってくるんです」
撮影/松永和章(Agence SHOT)
新しい自分
「同じ失敗は繰り返さない」という助走期間を経て、これからの道筋を立てた西堀は、現在新しいコーチ、トレーナーの下、練習に取り組んでいる。「今年のオフシーズンの目標は、チームカラーに馴染むこと。コーチの桐原(勇人)さんは、今まで私が考えてきたビーチバレーの常識がくつがえすような指導をされるので、新鮮ですね。たとえば、今までできなかったことが、ちょっとしたアドバイスでできるようになったり…。今までやってきたことを否定するわけではなくて、スパイクの助走一つにしてもブロックにしても新しい考え方を教えてもらって、基礎をやっている段階です。その基礎を飛び越してステップアップするということは絶対にないから、基礎を積み重ねていくことが大切。それを体に染み込ませて、桐原さんの理論を理解していきたい」
近年目覚しく成長を遂げてきたブロックは、新しい環境の下、どんな化学変化を起こすのか。日本NO.1ブロッカーとして世界へ飛躍できるのか、注目が集まる。
「最近、ブロック力が伸びたって周りに言われていましたけど、ワールドツアーではそれほど機能していなかった。昨年あれほど練習したフェイクだって、精神的に押されているときは上がらなかったし、自信喪失したこともありました。自分のものになっていなかったんですよ。でも、今やっていることができてベースができれば、変わってくると思う。人間、誰だって試合中にビビるときはあるんです。やっぱりそれは自信がないから、ミスしたらどうしようって変に考えてしまうんですよ。だけど、土台ができていれば、ミスをしてはいけない勝負どころの場面で立ち返ることができる。そうすることで、いつもどおりのプレーができるようになるし、それが土台を作るという意味なんだと思います。といっても、まだまだ今までやってきた動きのほうが楽だから、自分でやりやすいようにやってしまうときも多々あります。すぐに結果は出なくても、じっくりあらせずに海外で通用するプレーを身に付けたい」
視線の先にあるのは、ロンドン。過去の話ではネガティブな雰囲気を漂わせていたが、未来の話にはこれまでにない『確かな自信』を覗かせた。
「今までも当然負けたくない、オリンピックに出たいという気持ちはありましたけど、こうやって一人立ちするようになって挑む今季は、やれるような気がします。まだ試合をやってもいないし、もちろん不安な部分もあるんですけど、その不安さえも上回る気持ちがあるんです。目に見えないけど、できるような感覚があるんです。
ロンドンに行くのは、当たり前。オリンピックは行かないといけない場所だから。なので、まず必ず達成したい目標は、ツアーで優勝すること!! だって、一回も優勝していないんですよ、私(笑)。3位、2位はいっぱいあるのに(笑)。だから、まずそれです!」
国内ツアー制覇は、ロンドンをつかむために必要な通過点。目に見える結果を手にした後は、一段一段とロンドンへの階段を上がっていく。
PROFILE にしぼり たけみ
1981年8月20日生まれ。28歳。長野県出身。
身長171cm。古川商業(現古川学園)高出身。 フリー。







